一滴の茶が 芸術や文学、想像の世界へ 文人たちをいざなう
そのかたらいの場を いかに想像するか
・・・その答えが「中国の文房具」でした。
清風にふかれて
春季展覧会
中国文房具と煎茶
3月2日(土)~5月6日(月・振休)
泉屋博古館
泉屋博古館所蔵の住友コレクションの核を形成した15代当主・住友春翠(しゅんすい)(1864~1926)は、中国の文人趣味に憧れ、中国の文房具も数多く収集しました。
世の喧噪を煩い、自然の中で哲学や芸術について語らう生活を理想とする文人によって愛好されてきた文房具。彼らの書斎(文房)を清雅の境地へと昇華させた文房具は、現代の私たちが想像するいわゆる「ステーショナリー」の範疇を大きく超えるものでした。
こうした中国の文人趣味は、江戸時代以降、煎茶の流行によって日本に広まります。
文人趣味と結びついた煎茶の理念は「清風」と形容され、煎茶席は文房具で清らかに彩られました。
近代になると、現在の展覧会のルーツとも言える、中国の古銅器や書画などの展観席が煎茶会に併設され、芸術鑑賞の在り方を大きく変えました。
ただ、煎茶を愛する人々の文人に対する憧れに変わりはなく、住友春翠もその一人でした。
本展では、春翠が楽しんだ近代の煎茶会の展観席・煎茶席をイメージした文房具や煎茶器の展示を通し、清風そよぐ文人の世界へみなさまをいざないます。(会期中に展示替えを行います。)
(以上、泉屋博古館リリース資料より。)
☆ 住友春翠(すみとも しゅんすい)①=住友友純(すみとも ともいと)=元治元年12月21日(1865年1月18日) – 大正15年(1926年)3月2日は住友家15代目当主。茶人、風流人としても有名で号を春翠と称す。男爵であり、東山天皇の男系六世子孫である。(ウィキペディアより。)
☆ 住友春翠(すみとも しゅんすい)②=芸術への造詣も深く、各種美術の収集家としても知られていました。中でも現在、泉屋博古館(せんおくはくこかん)に収蔵されている中国古青銅器は、住友コレクションとして世界的に知られています。欧米の文化を積極的に摂取し、日本古来の伝統美にも造詣が深かった春翠の存在は・・(日建設計HPより。)
☆ 文人(ぶんじん)= 中国の伝統社会に生じたひとつの人間類型であり、「学問を修め文章をよくする人」の意である。
☆ 文房趣味= 文房(書斎)を中心に発展した中国文人の趣味である。文房清供あるいは文房清玩という場合もほぼ同義である。
本来的に読書人である文人は文房において起居し、同時に趣味生活を実現する拠点とした。「明窓浄几」(めいそうじょうき)と表現されるように明るく清浄な書斎の環境が理想とされ、この限られた空間はひとつの小宇宙と見做され、そこに関わる文物のほとんどが趣味嗜好の対象となった。この萌芽は漢代にまで遡れるが、六朝から唐にかけて発展し、宋代に骨格が築かれ、元代では一旦衰退するが、明代において隆盛となり、清代までその余波が続いた。六朝および唐においては華麗にして典雅な貴族趣味が好まれたが、宋代になると庶民的な質素さを基調とする趣致が好まれるようになる。この質朴とも言える趣致は道教の清浄の概念に由来し、貴族的な雅趣と庶民的な野趣を併せ持つ「清」という価値で表現される。この宋代に生まれた清(清逸・清楚)なる趣致は後代まで受け継がれて発展していき、単なる遊戯であるはずの趣味を芸術の域にまで引き上げた。
文房趣味の代表格として筆・墨・硯・紙が挙げられる。これらは文房具の中心であるので文房四宝・文房四友とも称される。単なる文房具であるはずが、特に宋代以降になると鑑賞・蒐集・愛玩・収蔵の対象物となり、生産地や工人がブランド化されその優劣が盛んに論じられるようになる。
(中略) 文房で古書画の鑑賞に浸り、墨を擦り、詩を詠じ、友と酒を酌み交わして清談に耽ることが文人の理想的な文房生活といえる。
(以上、ウィキペディアより。)
☆ 文人趣味 = 本来は古代中国で生まれた概念で、教養ある人々が詩、書画等を自らの楽しみ(自娯)としたことを言い、またそうした人々の生き方や価値観をいう。一般には他人の評価や名声を求めず、詩文や書画などを愛し、風雅を好む雅俗認識を価値基準にする世界観をもつことをいう。
(中略) あ くまでも自由で、孤高性、反俗性かつアマチュアリズムに徹し、多芸多趣味で風雅を求める姿が特徴的な「文人像」であり、芸術を職業とする人とは対極に位置した人であったといえる。
日本においては文人の定義は、正確には中国のそれには当てはまらないが、中国の文人の価値観、世界観を理想とした、という意味では一般的に職業人でも文人墨客とよばれる事も多い。
現代におけるひとつの生き方として、文人の価値観、アマチュアリズムに共感し、自娯に興じることを私は文人趣味と言っている。(硯池庵HPより。)
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