佐竹本『三十六歌仙絵』。
『名刀幻想辞典』によると、
「製作年代は12世紀で、絵の筆者については藤原信実(ふじわらの のぶざね)、文字は後京極摂政と呼ばれた九条良経(くじょう よしつね)と伝承される」 ということらしい。
ウィキペディアには、
「佐竹本『三十六歌仙絵巻』等の作品は、信実(のぶざね)とその家系に連なる画家達によって共同制作されたものと推測されている」 とある。
どうも、誰が描いたのか、ハッキリとはわからないようだ。
数ある『三十六歌仙絵』の中でも、特に「佐竹本」が珍重されているのは、
絵の美しさ、文字の美しさはもちろん、
それまでにない大型サイズであり(といっても、そんなに大きくはないが、それまでが少し小さかったのだろう) 、
良質で高価な絵の具顔料が使われていることにもあるらしい。
『三十六歌仙絵』には
藤原公任(ふじわらの きんとう)が選んだ36首の和歌が、
美しい筆文字により、その作者の肖像画とともに描かれている。
もともとは2巻の絵巻物だったが、今から100年前、
益田鈍翁(ますだ どんおう)により37枚(うち1点は神社)に分断され、
売りに出された。
揃っていれば今や国宝級だったという声もあるが、
海外に流出するよりは、分断されても日本にいる方がいい、とも言える。
いつか全部揃って展示されることもあるだろうから。
これまでも幾度か一挙展示が試みられた。
が、集まったのは最多で20点だった。
が、さらにしかし、 それが今回はなんと、
(今のところ)31点もの展覧が決まっている。
特別展
流転100年 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」
2019年 10月 12日(土) ~ 11月 24日(日)
京都国立博物館
もともとは旧秋田藩主・佐竹公爵家が持っていたものらしい。
「描かれている歌人たちは、『万葉集』の時代から、下っても10世紀頃までの人物であり、 当然ながら、現実のモデルを前に制作された肖像ではなく理想化された肖像である。」 (ウィキペディア)
なかでも、別格は斎宮女御徽子(さいぐう の にょうご きし)、という。
この絵巻が売りに出された時、絵巻2巻の値段はあまりに高価だったため、
「絵巻を分断し、くじ引き抽選にして、みんなで買おう」
と益田鈍翁(どんおう)は提案した。
何とかしてこの別格を手に入れようと狙っていたらしい。 が、
抽選で見事に落選。怒り心頭(?)。
(が、1位当選者は心優しい方で、すぐにこれを取り替えてあげたらしい。)
・・これが100年前の「絵巻切断事件」だ。
その後、この37点は、それぞれの道を歩むことになる。
今回の展覧会では今のところ31点が、
必死で掻き集められて展示されることが決まっている。
残りは6点だが、
「所蔵がわかっているものもあれば、行方不明のものもある。
ご存知の方はぜひ教えて頂きたい」 と、井並林太郎学芸部研究員。
記者発表会の席でまで訊く、
その熱心さはとりあえず評価しなければならない。
果たして今回、斎宮女御徽子は展示されるのだろうか?
本展では『三十六歌仙絵巻』のほか、
国宝「三十六人家集 重之集」、
重文「寸松庵色紙『ちはやふる』」 など、
王朝の美を代表する作品も数多く展示される。
☆ 益田鈍翁(ますだ どんおう)= 実業家・茶人。新潟県生。名は徳之進、のち孝、別号に観涛・雲外・宗利。佐渡の幕臣の家に生まれるが、上京し大蔵省に入る。後、三井物産を創業し、財界の頂点に立つ。一方、不白流川上宗順に就いて茶道を学び、大師会・光悦会などの大茶会を催すなど茶道復興に大きく寄与した。茶道具をはじめ、仏教美術・古筆などの蒐集や、小田原隠棲後の懐石研究でも知られ、数奇者として名高い。昭和13年(1938)歿、91才。
((株)思文閣・美術人名辞典より。)
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